ゆっくりと丁寧に優しく整えること                         『別冊太陽五味太郎』より転載

土曜日の夕方、慌てて治療院を閉院してから、お台場ナイトクルーズの出航時間にギリギリたどり着いた。
『じょうぶな頭とかしこい体になるために』という本を書かれた五味太郎さん。その長男、庫太郎君のママさんでありカラーコーディネイターであるYさん主宰の船上パーティーだった。
 大勢のゲストの中Yさんが僕を見つけてくれた。
「たくちゃん、せっかく来てくれたのに太郎来られないんですって……ごめんね。今、太郎と電話代わるからちょっと話してね」とYさんから携帯を受け取った。
「はじめまして寺門琢己です」
「こんにちは五味太郎です。今日は行けなくてごめんなさい。かわりに、正月の八ヶ岳で会いましょう」
「はい、お誘いありがとうございます。ぜひ伺います。よろしくお願いします」
「ではさようなら〜。あ……それからね。整体協会の野口晴哉を目指しているって聞いたけど……目指すのはやめましょう!」

「いえ先生、野口晴哉先生を目指しているのではなくて、先生の仕事を未来につなげる! と心に決めたんです」
「あーそうなんだー」
 簡潔でわかりやすい言葉。
 チェロのような深く温かい優しい声だった。
 超かっこいい人、声の主が大好きと思った。
 この瞬間から何かが始まった。

 あれから二五年、あのままずーっと素敵な声。
 電話口で聞いた五味太郎先生の声が大好きなまま二〇二〇年の今現在に至る。
 その当時(一九九〇年頃!)、三〇歳の僕は実在する師匠を真剣に探していた。
 母は僕のからだを、野口晴哉氏の整体論を基礎に健康に育ててくれた。
 医療以外の方法で健康を保持増進する。
 これを我が生涯の仕事と決めた。
 高校卒業後、東洋鍼灸専門学校に行って、なだたる先生たちに弟子入りをおねがいした。
が、すべて断られた(一週間すべて勤めて無給と言われ一日だけ休みくださいと言ったことが不採用の理由)。
 でも、鍼灸学校時代、誰とも野口晴哉氏のおもしろさを共有することはできなかった。
 何故なら、野口晴哉氏の整体論では
痛みを許容すること
発熱を許容すること
からだに理由を尋ねること
そのために自らを振り返ること
鈍から敏に感覚を磨いてゆくこと
が個々の挑むべき健康である。

世界中の医療(医師)&医療類似行為(鍼灸、指圧、あんま、マッサージ師)でからだの不都合や不具合を瞬間的にリセットする手段が求められている中にあって、痛みや不快を感じ取れるからだづくりなど誰も望んでいなかったから、当たり前のことでした。


 そんな孤独な中、「じょうぶな頭」と「かしこい体」という、
まさにその言葉どおり、まっすぐであるがゆえに難しいと思われてしまう野口晴哉氏の整体論。

でも五味太郎先生は、「じょうぶな頭とかしこい体」と、シンプルな言葉にまとめてくれた。
 五味太郎先生は、同じ道を行く先輩、と決めた。
 仕事も環境も全く違うけど、一緒に生きる人。
 共有する時間、空間を超えた、生きかたの趣味、行きかたの嗜好が同じ。
 出会ってから毎週末、朝まで話してくれた。
 僕は、大学には行かなかったけど、僕の教授は五味太郎先生。
 先生のすべてがかっこよくて、大好きだ。
 その声、顔、背格好、世界的キャリア(ライプツィヒ世界で最も美しいの本コンクール)、絵本の配色、構図、レイアウト、言葉のセンス、ぜーんぶ大好き。

「TAKU、俺さー整体って言葉好きなんだよね」
 整体って文字も好き。
 からだを整えるって感じが大好き。
 先生も僕の世界が好きっておっしゃってくれた。
「お前さあ、整体師っていい仕事しているよね」
 言葉を聞きながら、ビジョンが現れた……。
 ある日先生が治療院にいらしたとき、壁に飾ってある先生の原画がほんの少し傾いていて、気がついた先生がスッと水平に直してくださったことを思い出していた。
〝整える〟
 絵本の世界も一緒だね、太郎先生。

この数年間、恐れ多くも僕達は音を整える趣味を、偶然? 一緒に始めていた。

五味太郎先生はチェロ。寺門琢己はバイオリン。
また一緒に整えることが増えて、先生と一緒に音を整える世界にいる。

どうやら僕達は毎日毎日、ほんの少し傾いたからだや、ほんの少し傾いた絵や、ほんの少し狂った音たちを、ゆっくりと丁寧に優しく整えることを、圧倒的な満足感を得ながら、毎週毎日繰り返し続けている。
 それはそれは楽しすぎて楽しすぎて、言葉にできない。

さあ今日も、バイオリンの調弦から始めよう。

(てらかど たくみ Z−M ON治療院主宰)

※『別冊太陽五味太郎』より転載